イヤなことを進んでやるってことは、それは好きってことなんじゃないの?
そんな見方もありますが、
実は最近イヤなことをするのがちょっと好きになってきています。
たとえば、それはほんの些細なことで、
読みにくい本を選んで読んでみたり。
ずっと必要だと思っていた小さな“釘”を車に乗って往復2時間かけて買いに行ったり。
いつもの自分でいると好きなことだけやっていて、なんとなく遠回しにしていたことばかり。
今日は長い間返そうと思っていたお札を神社まで持ってゆきました。
行ってみれば、なんだ、こんな簡単なことだったんじゃないか!
気分もスッキリだし、神主さんの話も聞けたし、おまけに空も綺麗だ。
帰りには頼まれていた節分の豆の買い物も意気揚々と成し遂げることができました。(最近は落花生を皮ごと捲くスタイルが主流のようですね!福はうち!!)
わたしにはいつも温度調節みたいなものが働いて、よしやるぞーと思っても、好きなことを普通にやってるうちに、ついつい元の自分に戻ってしまいます。
なので、もう少しむこう側へ、とか、違う世界へ、とかそういった変化のベクトルへと進むことを望むなら、ちょっと痛いことをするのがちょうど良い。
たとえば、それはヨガですごく痛いポーズを続けて、前とは違う体を手にいれる、みたいなことなのかもしれない。
痛いポーズをやり遂げたり、気になっていた買い物を終えたりした後には、今までになかったフィーリングや達成感に包まれていることに気がつく。
ああ、こんな快感があったのだ!
快感を得るためにしんどいことをする。
書いてみるとなんか、不思議な発想ですね。(そして、我ながらしんどいことが些細過ぎる。。。)
もちろん、そのままでいるのも素晴らしい。でも変わるためには違うことをしなければ。
人生を作るのは習慣だからだ。
そして、習慣を変えるのは、結構ハードなものなのだ。